昭和四十七年六月二十五日


御理解第七十六節
「人間は人を助ける事が出来るのは有難い事ではないか、牛馬は我子が水に落ちて居ても助ける事が出来ぬ、人間が見ると助けてやる人間は病気災難の時、神に助けて貰うのであるから、人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心せよ」


よく昔の徳を受けられた先生方の所で、沢山のお弟子が出来られたそれは全部が全部という訳じゃないでしょうけれども、例えば病気なら病気が愈医者にも見放された、といったような難儀な人達を、取り次ぎ助けられた。
 そういう時に神様に願われる内容としてですね、どうぞもう無い寿命の者でございます、けれどもこゝにこの氏子が助かりましたなら、その余生を、人の難儀が助かる事の為の、取次者にならせて頂きますから、どうぞお助け下さい、といったようなね、内容のお取り次をなさったという話を、いくらも聞かして頂いとります。
 もうこの世では、云うなら愈駄目な、例えば屑の子とでも申しましょうか、又はもう神様のおかげを頂かなければ助からんと、云うような氏子に、人の難儀が取り次ぎ助けられる、取次者に取り立てますから、そういう風に致しますから、どうぞ助けて下さい。
 そういう、云うなら条件をもって、神様に願われて助けられ、そこからお道の教師を志される事になる、子供でも愈助からないという時に、親がそういうお取り次を願ったというお話も、いくらも聞いております、どうせ助からん者ならば、神様の御用に直接お役に立たせてもらう、いわゆるお道の教師に捧げますから、どうぞ助けてくださいと云って、矢張り奇跡的に助かっとる、そういう意味での教会が出来たと云うお話も、色々聞いております。
 ですからそういう願いにならせて頂く時、神様はもう無い寿命でも下さる事が出来ると云う事、内容を思うて見なけりゃいけんと思うですね、神様のその心のシンに触れておる訳です。
 堀尾先生の書かれたものの中に、「神、人を求め給う」という、だからその、勿論人を求め給うと云うのは本当に、難儀な氏子を取り次ぎ助けられる程しの人を、求め給うのであってね、かえって邪魔になるような者を求め給うと、云うのじゃないと思うのですよ、ですからこれが願いの根本のところにありますと、おかげはもっとスム―ズになってくるのじゃないか、又は徳を受けるのじゃないか力を受けるのじゃないか、と云う風に思うのです。
 何故人間が助かるという事の為に奉仕する、奉仕させますから、そういうお道の教師に立ちますから、どうぞ助けて下さい、ですから人が助けられるという事、人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心せよ、と、人が助けられるという事は勿論、私自信が助からなければならない、云うなら無い命を助けて頂いたと云うようなですいわゆる助かり、そこから助かりの原理というようなですね、ハッキリしてくる、私が助かる、その助かった喜びが、又人を助ける働きと云う、どうでも矢張り自分自身が助からなければいけません。昨日はもう思いもかけん、あっちこっちから、千葉、四国、本郷と先生方がやって参りまして、丁度関さんの所のお宅祭でございました、五時に迎えに来てくれましたが、五時迄ぎりぎりお話を聞いて頂いたんですけれども、結局昨日の朝のお話を元にして、聞いて頂いたんですけれども、ある先生が、もう本当に私共が助かる助かる云うけれども、私共の心が助かっておるという事は、今日御理解に頂きますような、先生の心のような状態のものを、本当の助かりと云うのでしょうねと、云うような結論でしたねえ、皆さん、私と子供同様の姪が、しかもアッという間に亡くなった、そのお取り次をさせて頂いて、亡くなって、そしてその間の心の動きと云うか、心の状態といったようなものを聞いて頂いた。
 本当に例えば大坪家、池尻家、まあ云うなら悲しみの底に沈む程しの、難儀に直面した。けれども、だからその、せめて私一人位はね、本当の事が分からせて頂いたら、私一人位はお礼を申し上げれる、いわゆる悲しみではない、お礼を申し上げれゝるのが、一人位おらなければいけない、それからと云うて、そんなら無理してお礼を申し上げると云うのじゃなくてです、云うなら心の底から、それがお礼が云えれる、悲しいと云うものが例えば私の心から、云うなら悲しみというものは、私の心からみじんも感じられない程しなんです。例えば昨日謝恩祭を仕えられる、関さんのお宅などの場合なんかでも、そういう、今日はおめでとうございます、と云わなきゃならんのですからね、挨拶に、だから本当に今日は良いお祭りを奉仕されて、本当に心からおめでとうございますが、云えれる状態であったという事のね、話を昨日、先生方にさしてもらった。
 だから確かにね、そりゃあ病気で助かった、もう愈の時に助かったという助かりと同時に、自分自身の心の状態が助かると、云う事にならなければならない。まあ皆さんが云われるのに、何かお悔やみ云わにゃんばってんか、お悔やみを申し上げようと思いよってもこゝへ出てくると「おかげを頂きまして有難う御座います」と云う事になってしまう感じなんです。
 昨日末永さんが話しておりましたが、「さすがに合楽の御信者さんですなあ、お取り次させて頂くのに、池尻泰子お国替御礼、というお届けの多いのに驚きます」と、「ほんなこつねえ」と云うてから云うた事でした。
 その事がね、死んだけん嬉しい、死んだけんお礼云うと云うのじゃなくてです、もうひとつ向うにあるところの神様の心を、パッとキャッチしてからの御礼なのです、それは分からない、分からないけれども、神様の思いというものは、もう幽遠、御神慮の深さというものは、私共には計り知れないけれども、神様の願い、神願成就の表れである事だけは間違いない。
 日頃頂いておる御教えが、そこに思い至った時に、お礼と書かなければおれない事になってきた、と云う訳なんです、末永さんがその事を話しておる、本当に有難いなあと思いました、だから自分自身の上にです、例えばそんならば、云うなら目の前が真っ暗になる事が起った時にです、御礼と
 秋永先生が事故に会われて、おかげ頂いてお礼に出て見えた時がやっぱそうでしたねえ、事故に会ったその自体が、助けて頂いたという事じゃなくて、それも有難いけれども、その事自体がお礼になっておったという事。
 もう金光様の信心のね、私は本当に有難いのは、そこんところだと思うのです、何かこう、お悔やみといったものは、こちらがいつも心がしめっておって涙が出よらなければ、お悔やみちゃ云えるもんじゃないですね、ところがこちらが、あまりに淡々としとるからお悔やみの言葉が出てこない、おかげを頂いて有難いと云う事だけしか出てこない。
 それでも無理して云いなさる人があります「本当にお力落としでございましたでしょう」と、ところがね、本当に普通で云うならばお力落としの時にです、私は力を拾わせて頂くのがお道の信心だと思う、普通で云うならば力を落とすところなんです。
 けれども私は過去何十年間、私の信心を振り返って見てです、そういう時、おかげを受けたなあ、力を受けたと云うなら、あゝいう時であったろうなあといつも思うです。
 もう本当に先生、夢のごたる事でございましたですねえ、そうですよ、本当に夢のごたる事じゃった、もうこれからほんなこと、夢にも思わなかったおかげに展開してくるだろうと、私はこう云う風に申します、そこんところがです、難あって喜べ難はみかげと、教祖様は仰る、四神様は難あって喜べと仰る、だから実を云うたらそれは難じゃないのだと、ハッキリ教えて頂いておる。
 昨日の御理解の中にも申しましたように、信心する者は、これより先どういう事が起ってきても驚いてはならぬぞ、とか、信心しておって変わった事が起ってきたら、有難いと心得て信心せよ、だから有難いと心得られる、驚かんで済む程しの信心を、常日頃しておかなければならない、それが本当の意味に於いての合掌だと昨日は申しました。有難いと思う心、又驚かんで済むような、それこそ普通で云うなら、驚かにゃおれないような事を、合掌して受けた姿なんです、そういう時に徳を受けるのだ、力を受けるのだから、日頃その事を稽古しておかねばならん、そん時さあと云うたっちゃ間に合わん。
 昨日の関さんの所のお宅祭で頂いたのですけれども、芦田伸介ですかね、あの人がコマ―シャルをやってます、「クリ―プを入れないコ―ヒ―なんて…」と そげん云いましょうが、もう意味がないと云う風に申しますね、そう云う口調でですねえ、「修行の伴わない信心なんて…」と頂きました。
 修行の伴わない信心なんて、もうおよそ、意味が無いと云う訳なんです、そしてコ―ヒ―にそのクリ―プを入れてパ―ッとかきまぜるところを頂いた、それでいて初めて、本当になる程、入れて熱いうちに頂く事がおいしい事が分かるのであって、例えばクリ―プを入れなくてもです、只そのまゝじっと、テレッとしとった分じゃ、それがまじり合うところ迄じ―っとしていると、もうコ―ヒ―がぬるうなっておいしゅうなか、だから結局ふうたらぬっか信心じゃいかんと云う事が分かる。
 昔椛目時代私が、この、ふ―たらぬくいと云うことを、えらいもう、「ふうたらぬっか信心するけんくさい」と云うような表現を、それでみんなが ふうたらぬくいと云うのですよ、もう立派な綺麗な奥さんが「私がふうたらぬくうございますもんじゃから」と云う程、それから私は、このふうたらぬくいと云う言葉は、あんまり上品じゃない、だからもう、いつかの月次祭の時、この月次祭を限りにひとつ、ふうたらぬくいと云う言葉は使わんように致しましょうと云う程みんなが使ったです。ふうたらぬくい、当時の方はよく使いました、最近はあんまり使いませんね、お互いがシャンとした信心になってきたから……
 結局クリ―プを入れたコ―ヒ―を只じっと見ておるだけで、成程まざる時間を待っとるから、美味しくなくなってしまう、そこにひとつの問題なら問題というものを感じた時です、もうそれをね。
 ヤ―ッという勢いで受けるという修行がね、なされて初めておかげを受けられます。
 昨日も筑紫本郷の若先生が見えて、先月からずっとおかげの泉を講読しとる、今月の分を頂きたいと云うて買いに見えた、ところが読んでいきよるうちに、分からん箇所がいくらもある、合楽の御理解を、ちょっと他所の人が聞いたっちゃ分からんですもんねえ。
 それはもう神様に頂いた事等は、まるきり半字文のような表現でしてありますから、もう頂きつけにゃ分らん、その事の中にね、
「おかげは受けてもお徳にはならん」と云う事があったが、あれはどういう意味ですかと、私もそれはいつ頃お話したのか知らんけれど、私も分からんけどね、それを思いよるといつか分かる時がくるよと、もう神様の云うなら深遠な御教えですから、もうその時にもう分かり切ってしもうたら、それでおしまい、あゝ合楽のおかげの泉に、あゝいう事が書いてあって、非常に疑問に思うて分からなかったが、あれはこう云う事であろうかと、分からして頂いたつが、ほんなもんですよと云うてまあ、私も実際、前の御理解の事ですから分らんと云うてお話した事でした。
 だからその信心をさせて頂いておればです、確かに何とはなしにおかげを受ける事だけは間違いない、もう二十年も三十年も信心させて頂いておると、おかげだけは受けます。
 昨日もそういうようなお話しよるところへ、今、熊本に行っとります古賀先生のお母さんが参りました、古賀先生が亡くなってもうやがて一年になりますから、何か都合で一年祭を親教会である、東飯塚の教会で仕えて頂いて、それでこちらへもお礼に出らして頂いたというのです、そして丁度、椛目の事を聞かして頂いてです、本当に同じ事、昨年の一年前に自分もたった一人息子を亡くしての、あの悲しみとか、苦しみとか、もう本当ボ―ッとなってしもうてから、この人はこれでおしまいになるとじゃなかろうかと、その時に何回もお礼に出てきましたけれども、もうあの気の利いたおばさんが、もうぼや―っとしてしもうとりました、ところが昨日参りましたら、もうちゃ―んと洋装で、頭に網のごたるとをかぶってです、もうちょいと若返って艶々してから、昨日は参ってきましたもん、「古賀さんおかげ頂きよるね」と、もう本当に段々分からせて頂いて、やっぱおかげ頂きよりますと云うて、昨日は喜ぶんですよ。
 だからね、その受け方はそん時に、もうほんにどうしてじゃろうかと云う受け方ではあるけれども、信心を続けておる限り、矢張りおかげを受けておるです、けれどもそういう時にです、本当に力を受けさせてもらわにゃならん、徳を受けさせてもらわなければならない、だから事柄は同じ事であっても、いわゆる徳を受ける、力を受けると云う事は矢張り違う、だからそこの説明を、本郷の安武先生は求めておられたんでしょうけれどもね。
 ところが仲々、実際その場合になってみると、有難く受けんならん事は分かっとるばってん腹が立つ、有難く思わにゃならんけれども悲し涙の方が先に出る、というような事ではね、それが徳にはならない。
 昨日関さんの所にやらして頂きましたら、昔私が書いて差し上げておりました 見事な額に入れてから、神様の前に額が上っとりました、それには「徳積みて、栄える家や菊の花」という句が書いてありました。
 徳積みて栄える家や菊の花 だから、この信心して栄える家や菊の花じゃないです、徳積まなければ、徳積んでいくに従って栄える家でなければ本当の事じゃない、只信心しよるけん何とはなしに、おかげ頂いていくのではこれは本当の事にならない、矢張り徳を積んで行かなければならない、その徳を積んで行かなければならないと云う事がです、そんなら徳はいつ積むかと云うと、信心しておっても どうしてと云うような、云うなら時にそれをスキッとした、有難い心で受けさせて頂けれる程しの、いわゆる自分自身の助かりです、を、だから常日頃しておかなければならない。
 おゝよそ信心に修行の伴わない信心なんて、本当に意味の無い、つまらないと云う事になる、人の難儀を助けるのが有難いと心得てと云う事の為にまず、愈私自信が助かりたい、どんなにあの人は仏様のような人、神様のような人と云うても、信心しておかげを受けるのは別と仰る、その神様のごたる人、仏様のような人と云うのがです、本当に信心修業が出来てくる事になってくる時に、本当の徳が受けられるのです。
 昨日の朝、豊美達が夫婦に、幹三郎が一緒に帰って参りました。それから二人は早う出棺に間に合うように、と云うてから風呂入ったり何したりしよりますけれども、幹三郎が出て来んけんで、どうしてじゃろうかと私が云いましたら、それがもう自分の部屋に入ってから、中から鍵掛けてから出てこんそうですもの、もう泰子姉さんのね、亡骸に会うのはしのびないと云う訳なんです、だから僕はどうしても、もう、とうとう行きませんでした、自分の部屋にこもってから、それから、もう済んでしもうてから、あちらが帰ってそれを話すそうですから、若先生が呼びに来とりますもん、それで無理にそのまゝ連れて行ったという訳です。
 そんな話を私、昨夜関さんの所の帰りに、椛目に寄らして頂いて明日の告別式の諸事万端、皆さんにお願いしてありましたから、ちょっと見かたがた寄らせて頂きました、それでその話を聞かせて頂いてから、ほんに幹三郎ちゃ教祖様のごたるねと、云うてから話した事でした。
 教祖様の御伝記にも残っておりますように、飼い牛が亡くなった外に出られて用事をしておられる時に、飼い牛が亡くなったので、近所の人が牛が死んだということを、云いに行かれて丁度道の途中で会われた、そしたら教祖様はね、その牛の亡骸を見るのが切ないと云うて、家には帰られずに、又行かれた所へ帰られたと云うお話が残っとります。
 飼い牛が亡くなっても、それを見るに忍びない、と云う訳です。そういう神心の強い状態がです、愈あのような信心修業によって、愈生神というところ迄、御神徳を高めておいでられた訳です。
 ですから私共の信心のどんなに良い人であっても、それこそ仏様神様のような人じゃと云うても、おかげは受けられんと仰った、だから昨日も私が、その事を申した事ですけれども、もうスマちゃんあんたどん親子は確かに美しい、私どんかより美しい、もう兄弟とは思われん位に、内容が綺麗かった、親子とも、けれどもあんたどんが信心がないなら、もう愈世の中のすみの方に、押し込まれてしまうような事じゃろうの、あんたどんのごと、馬鹿んごと人間のよかつは、けれども信心させて頂いておるおかげで、こげんしておかげ頂いていきよるとよと云うて、まあ話した事です。
 ですからそういう心の状態の人がです、信心修業によらなければ只信心しとるだけじゃいかん、信心修業によらなければ、しかも目の前が真っ暗になるような事に直面するような事で、愈心が清められ、研かれてこそ、初めてお徳を受けるのです、そこに本当の助かりと云う事が云えると思うのです、助からない時にお道の教師に、もし助かりましたらお道の教師に致しますから、助けて下さいと云うような条件がです、いかに神様の心をゆさぶる程しの何か、いわゆる神様の根につながるような感じが致します。
 いかに神様が、難儀な氏子を助けたい、と云う願いがあられるかけれどもそこには、言わば取次者がなからなければ、助かる事が出来ない、神様自体としては、それこそ神様のような人、仏様のような人であっても、助けなさる事が出来ないという事実がある事ですですから何かの機会にです、そういう例えば難儀に直面した時に、お道の教師を志してもらうとか、条件を入れて助けて頂く例がいくらもある事を、うちの修業生には、そんな事云うた事ありませんけれども、まあだそれだけ云えれるだけの力がこちらにないですからけれども、そういう事でお道の教師にお取り立てを頂いて、そして人が助かる事の働きになっておられる方が、沢山おられます。
 ですからその事が、取次者になるとか、人が取次ぎ助けられるという事を条件にすれば、そういう助かりが出来ると云うところが考えてです、神様が一番求めて御座るのはその辺だと。
 だから私共が、人の難儀が助かるのが有難いと心得て、矢張り信心しなければいけないと云う事、そんなら、人を助けたい助けたい云うとるだけじゃ出来ん、そんなら自分自身がまず助からなければならない、自分が助けて頂いて、初めて人を助ける事が出来るのですから、それは形の上の助かりと同時に、自分の心の状態が段々助かっていく、為にはです、信心に修行をぬきにした信心なんてもうおゝよそ意味がないと分からせて頂く信心、しかもその信心がです一生続けられる事であろうけれども、その信心がどのように素晴らしい事か、どのように素晴らしい有難い事か、楽しい事かと云うところが体得出来、分からして頂くという程しの、信心修業でありたい、言葉には修行と云うとるけれども、心では苦労と感じておる、位の事では本当の修行にならない。
 昨日その話が出たんですけれどもね、それは過程としては仕方がない、いわゆる三代金光様でも、初めの間は辛うて辛うてよう泣きました、と仰るのですから、だから、けれども親様がそう仰ったのだから、と云うて辛抱しぬいたとこう仰っておられる、だから信心には辛抱する事が一番大切でございます、と云うお言葉がよう分からせて頂きます。
 だから初めの間は辛うて辛うてでしょうけれども、そこを矢張り辛抱しぬかせて頂いて、それが辛抱の徳という事になってくる時には、それはもう有難うて有難うてという事になってくるのです。
 そういう修行をふんまえてと云うか、過程を通らせて頂くという事が、人を助けるという事の根本になるものです、しかもその根本がです、神様の願いの根本も、矢張りそこにあるから、その信心と信心が一致する、だから助からないところが助けて頂くという程しの、おかげが頂けるのじゃないかと思うのです。
 今日私はとりわけ、そこのところを聞いて頂いた、昔のお徳を受けられた先生方が、沢山弟子が出来られた、もう助からんといったような、難儀な氏子を取次がれる時に、助かったらお道の教師にしますから、と云ったようなお取り次によって助かる、それはどうして、そういう助かりかと云うと、神様のいわゆる根本の所に触れておるから、と云う事なんです。
 信心は、私共の願いの根本というのは、神様の心に触れたところに、願いの筋道というのが出来て、その根本に触れておらなければだから本当のおかげにはならないと云う事が分かります。
                         どうぞ